このレポートは近畿大学高妻容一先生がまとめたものを、そのまま使わせていただいております。また同じファイルをPDFファイルに落としています。アクロバットリーダー(アドビ)で閲覧できます。PDFをお使いになる方は下のファイル名をクリックしてください。
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記録:高妻 容一
1998年11月14日一15日に大阪のりんくうゲートタワービル国際会議場において、「公開シンポジューム・体育系大学における臨床スポーツ心理学の構築に向けて:こころと身体をつなぐ」が大阪体育大学の主催/日本私学学校振興・共催事業団後援で開催されました。
「メンタルトレーニング・応用スポーツ心理学研究会」では、11月の研究会をこのシンポジュームと11月12日−13日に大津プリンスホテルで開催された日本スポーツ心理学会に参加しようという企画にしました。
今回は、この公開シンポジュームの内容から、メンタルトレーニング・応用スポーツ心理学に関するディスカッションができればと考え、その内容を報告します。特に、臨床スポーツ心理学は、カウンセラーや臨床心理士など特殊な訓練(スーパーバイス)を受けた専門家が、臨床心理学やカウンセリング心理学の立場から、選手やコーチなどを援助する分野だと思います。私ども体育・スポーツ科学系の面から、メンタルトレーニングや応用スポーツ心理学の観点で、選手やコーチなどに関わる場合を、コンサルタントがコンサルティングをするという考え方と区別して考えています。教育的(研修・トレーニング)背景の違う専門家が、その役割分担をして関わる事についてのディスカッションをするいい機会だと考えます。以下の分類が、国際応用スポーツ心理学会、米国心理学会、米国オリンピック委員会、国際メンタルトレーニング学会などの考え方です。
@教育スポーツ心理学(競技力向上を目的としたコンサルティングなど)
A臨床スポーツ心理学(精神的異常を元に戻すカウンセリングや療法など)
B研究スポーツ心理学(大学や大学院、学者や学生としての研究や教育など)
今回は、このシンポジュームの内容を紹介し、研究会の情報提供や交換およびディスカッションのトピックスにしたいと考えました。ここで紹介するのは、会場の参加者として、聞いた内容をまとめたものです。そのため、一語一語正確には、再現できないかもしれませんが、その点はご了承ください。また報告者は、遅れて会場に入ったため、前頭での挨拶やこの公開シンポジュームの主旨説明を聞いていません。そのために、資料として付けましたパンフレットから、目的や内容を把握してください。
(1)基調講演「スポーツにおけるこころと身体」
日本大学教授で日本スポーツ心理学会会長、元国際スポーツ心理学会会長であった藤田原先生が、講演をされました。内容は、少し古い事例ですが、ディック・スイン博士(米国)の7ステップピークバフォーマンスという初期の頃のメンタルトレーニンクプログラムが紹介されたり、スエーデンのユネスタール博士が、オリンピックチームのデータからメダルを獲得した選手ほどメンタルトレーニングをやっていた事実などのデータの紹介などがありました。また体操選手がイメージトレーニングをすると脳波や筋電図に生理的変化が表れるなどのデータを示し、メンタル面の強化についての話題が話されました。(この基調講演は、遅れて参加したため、後半部分のみの紹介になります)
(2)パネルディスカッション1「臨床スポーツ心理学への期待」
コーディネーターが筑波大学の中込四郎先生であり、臨床スポーツ心理学とは何か?現場との閑わり、応用スポーツ心理学との違い、もっと深いところでの関わりなどと話しをされた。特に、スポーツ心理学者の現場との関わりが、一方的であること、それは研究として質問や知識の伝達がされていることでした。
それに対して臨床スポーツ心理学から何が期待できるかをこのパネルディスカッションでやりたいというような内容であったように感じた。進行は、講演形式ではなく、コーディネーターがいくつかの質問をしながら、話題を絞る形で行われ、その後、パネリストがコメントする形式で行いました。
話題提供者が、大阪体育大学大学院生でマラソンランナーである吉田光代さんでした。彼女は、93年パリ国際マラソン優勝、94大阪国際女子マラソンで2間26分26秒の日本タイ記録を樹立した選手です。
「私は、中学1年より長距離を始めましたが、その時、母親の反対がありました。でも、小学校の時より陸上部に入りたかったし、私が行く中学の陸上部は全国大会出場などをして強かったのです。私は、強い部へ入りたかったのです。深尾選手が先輩にいて(5歳上)、彼女の活躍を見たり聞いたりして、私も彼女のようになりたいとあこがれていました。私は、深尾選手が走っているのは1回しか見たことはありませんでしたが、さっそうと走っているのを見て、あこがれました。母親が陸上部に入れば体を壊すとどこからか聞いてきて反対されました。父も反対で結局は剣道部へ1学期間入りました。しかし、母親を説得して陸上部へ入部しました。剣道部の監督に対しては、母親がいい加減な気持ちでやめるわけではない。前から陸上部に入りたかったのを両親が反対していたなどのことを話し説得してくれました。この中学時代の陸上部では、土・日・正月なしの練習でした。監督からも私はえこひいきされていた感じでしたが、グランドでは厳しいトレーニングをまじめにしていました。成績は、800mが全国5位になりましたが、3000mなどの長距離が好きでした。トップレベルではありませんでしたが、全国レベルではありました。高校時代は、中学時代に強かったし、近くの高校に行こうと思ったのですが、先輩の行かなかった高校へ行き、寮に入りました。高校1年の時は、中学の貯金でなんとかやれましたが、練習量が中学の半分になったため、2−3年で成漬が落ちました。先生にメニューの変更を頼んだのですが、だめでした。練習量が少ないので成績が落ち、やる気もなくなって1ヵ月休んだりして友達と遊ぶ方がよくなりましたが、先生も何も言いませんでした。ただ先輩は恐かったです。
結局は、インターハイ出場なしでした。高校の時、どうするのか?と考え、走りたいと思いました。高3の秋から受験に向けてトレーニングを開始し、大阪体育大学に入学し、環境が変わりました。一番力がないと思って陸上部に入部し、そのため<新鮮な気持ちで、また走れる>という気持ちでした。
自分では、こんなもんじゃないと言う気持ちがあり、このころ大阪国際女子マラソンがTVで始まり、走りたいと思いました。大学時代は、1年の時は、フレッシュな気持ちであり、記録も伸びました。しかし、2年からやる気が落ちてきました。そこで、2年からマラソンを開始、マラソンを走ることは、自分の持ち味を生かせると思いましたし、また中学の先生からも言われて、自分が力を出せるならマラソンしかないという気持ちがありました。大学ではマラソンを3回走りましたが、3時間を切れませんでした。30kmからガクット落ちて、やめたい気持ちでした。その時は、自分はマラソンにむいていないと思いましたし、スピードもありませんでした。
大学卒業後ダイハツヘ入社、コーディネーターから《記録をいっきに30分短縮した状況は?》と聞かれて、
「要素はたくさんあります。大学時代はお金を払って、実業団ではお金をもらっての違いがありました。この1週を走ることがいくらだという考えでした。入社時、12名中12番目であり、目標として1人づつ抜いていこうと言う気持ちでした。中学の先生から、今までの全てを頭の中から捨てなさい、ダイハツの、監督の色に染まりなさい。1から陸上をやりなさいとアドバイスをもらいました。入社前に、2回しか会っていない監督に、ものすごく怒られました。その時、絶対ダイハツなどに入社するものかという気持ちが強かったです
ダイハツでは、練習が気持ちいいところで終わる、腹八分ぐらいの感覚の練習でした。
練習は、持久的(クロスカントリーなど)のものが多く、距離は6千−2万メーターを走るのですが、走っているときはきついけれど、気持ちの目で80−90%で走るという監督の指導でした。入社1年で記録を30分も縮めました。その前は70番目ぐらいを走っていましたが、30分も記録を縮めた時は、先頭で走っていたので、TVの最影隊やパイクがまわりにいて応援もすごかったです。走り終わって、自分でびっくりしました。その時は、いけるところまでいこうと思っていました。前半に先頭から離れましたが、前半は昔しくても当たり前と思っていました。目標タイムは、2時間40分ぐらいでしたが、2時間30分で走れました。トップの仲間入りをした感想はという質問に、私は図に乗るタイフなので、浮き足立ちました。今までこのような経験がありませんでしたので・・。マスコミの対策についてはという質問では、マスコミに取材で目標はと聞かれ、簡単に受け答えをしていました。その後のスランプはという質問に、陸上の長距離は体重が重要です、入社してから6k9体重を落とし、50kgをキープしていました。食事については過敏になっていました。食事を我慢するのがつらかったです。ただ記録がでているときは我慢ができましたが…。
マラソンの疲れがでてきて、海外へ行っても疲れがとれないようになってきて、走れなくなりました。身体が重いと感じ、体重を落とすのですが、体重を落とすことばかり気になっていました。そのうち食べちゃえ!という気持ちになって食べるのですが、食べたものを戻し始めました。そのうちに1年半がたって、マラソンを走ってもどうしょうもなく、誰かに助けを求めていました。
マネージャーがついてくれて、立ち直るきっかけになったそうですがという質問に、過食症で病院へ行きました。医師が、自分から何かをするのはいいのですが、人からやらされないようにすることと言ってくれました。マネージャーから、何がしたいの?という間いかけがありました。今までは、これしろ!何々しろ!と言われていま
した。それから、「今身体がきっいから寝たい」とか、「練習に行きたくない!」と言えるようになりました。少しづつは良くなるのですが、走れなくなったり、ガクット精神的に落ち込んだりを繰り返していました。そのうちにどんどん抵抗力ができていきました。回復しての初マラソンで、パリ国際で優勝しました。この時は、大会にでたことよりもスタートラインにてることがうれしかったのです。
その後、大阪国際女子マラソンで、日本タイ記録2時間26分26秒をだしましたねという質問に、その時は、みんなに日本記録を出しますと言ってまわりました。後半は落ちましたが、当時の日本タイ記録でした。
ダイハツがメンタルトレーニングをしていたとのことですがという質問に、リラクゼーションをはじめにやり、イメージトレーニングをしてくれる人が来てくれ、瞑想し、静かな音楽をかけて、リラックスして、ひとりづつカウンセリングしてくれました。内容は、前向きなことをしてくれ、前向きに物事を考えるようにしてくれました。摂食障害については、自分では何も努力していないと思います。まわりが何かしてくれたし、自分は、ぼ一としていました。これが自分一人だと、たぷんやめていたと思います。
以上の話題提供やコーディネーターの質問などについて、臨床スポーツ心理学を専門とする大学の先生や臨床心理士などが意見を言う形で行われました。
(3)講演「体験的心身論:私のこころと身体」
石田利也(大阪府警警部補で剣道鍛錬コーチ)大阪体育大学卒業後、大阪府警へ。全日本剣道選手権優勝2回、全国警察大会団体優勝3回・個人優勝1回、世界大会団体4年連続優勝。
大学卒業後8年で優勝、病気、その3年後2回目の優勝をしました。私は、小学時代体重が90kgあり、剣道を始めた小2で80kgの体重でした。小学校の時は、剣道が好きだという気持ちでした。自分から親にたのみPL中学に入学、しかし、コーチからは相撲部屋を紹介すると言われ、親にこのことを言うと、おまえははいそうですかと返事をして帰ってきたのかと言われ、「親が泣きだした」(無理をしてPLに行かせたのに・・のエピソード)その後、PL高校へ進学、この高校は18年連続してインターハイ出場していました。私が2年の時に団体優勝していたため、3年では楽勝という気分でしたが、大阪府の予選で負けてしまいました。自分はやるだけのことはやって負けたと思いましたが、監督は怒りました。そして大阪体育大学へ入学、監督が心の恩師となりました。剣道は100%勝てるという保証がない。体調が悪くても勝つこともあるし、良くても負けることがある。正しい剣道で正しい打ち方でやる。相手の目を見て話す。自分の書いたいことを伝えるようにしなさい。大学へ残れと言われたが、私には日本一という目標がありました。学生では、先生についていって日本一になれたが、日本一になるためには、大阪で勝つことが第一です。指導をしながら日本一は無理と思い、大阪府警の環境を考えて警察へ就職しました。学生の剣道と警察の剣道の違いは、内容ではない結果だという考えであり、警察の仕事として犯人逮捕のために負けてはいけない武道として考えられています。警察は、ブロ化された剣道であり、絶対勝つこと、負けないことが基本です。日本一になりたくても。6段以上にならなければ、日本選手権に出れない。大学で4段、それから3年で5段、28歳で6段になり初出場しました。私は、26歳で警察全日本優勝をしたため、当然優勝できると思っていましたが、1回戦負けでした。若手は、実力があっても1回戦でつぶされる、なぜ?という思いと、また負けるのではないかという不安で自信がなくなってきました。練習で自信をつけて試合に行くしかないと思いました。どういううふうにすれば勝てるかと考えれば良かったのに、練習
量を増やし、しゃにむに練習をやっていました。29歳で東京へ1ヵ月半の修行に出されて、それが終わり家に帰り、食事をしていると口から泡を吐いて倒れ、救急車で病院へ運ばれました。自分では、心臓の動悸が速くなってので心臓がおかしいと思いましたが、原因不明でした。過労からの発作と診断され、その後も発作が起きて、不安神経症にかかっていました。3ねんこの病気で練習ができませんでした。電車や車の中で発作が起きてあぶないこともありましたし、まわりに迷惑をかけたくなかったので電車の時間をずらしたりもしました。そしてカウンセリングを週2−3回受けに行きました。その時、なぜと聞くと、倒れたときの先入観があると言われました。4人の仲間が同じ病状になり、3名が剣道を辞めていきました。そのうちにカウンセリングの回数が滅っていき、ようやく2年で克服できるようになりました。その2年後に日本選手権で優勝しました。20年剣道をやってきて、たかが不安神経症で剣道を捨てられますか?と言われて、自分がコントロールできるようになりました。日本選手権大会では、緊張よりこむこへ立てたことが喜びでいっばいで、勝ち負けは関係ないと思いました。優勝しても、優勝の喜びよりもう一度日本選手権へ立てたということが喜びでした3年後に2回目の優勝を果たすのですが、その3年の間に左膝のこうじゅうじ靱帯を切るケガしました。これは致命傷でした。病院で膝がガクガクの状態で、現役をあきらめなければならない状態でした。医師は、もう無理と言い。2番目に見てもらった医師が、よしやるだけはやるということでした。相撲の千代の富士の例を出して、膝のまわりの筋トレをやりなさいといわれ、1日6時間もの筋トレをしました。今でもひざが抜けることがありますが、右より強い足になっていました。少しづつ回復し、また上達し、優勝しました。この時は、心の自信がついていました。この30%が優勝の喜び、70%が出場できたという喜びでした。宮崎という5回も優勝した選手がいますが、彼も同じような経験をしていました自分の評価はしませんが、精神的なもの、肉体的なものがひとつになった感じでした。頭ひとつ抜け出すには、80%精神的なものが必要だと思います。全日本のコーチ、警察のコーチとして、技術より精神的なもの、肉体と精神がひとつになることが必要だと思います。選手を育成するための、いい指導者になりたいそのためには自分の経験を通して、この点を強調して指導したいし、もっと上を目指してたきたいと思います。
(4)パネルディスカッション2「私が関わった選手のこころと身体」
コーディネーターより、「若い人を援助するという考え、臨床心理学が基本となり、臨床スポーツ心理学へ、またスポーツ心理学とは区別して現場と関わります」というような説明があり、パネルディスカッションが始まりました。
@コーチの立場から:大阪体育大学の女子バスケットボール部監督である、中大路哲氏から「コーチの立場から」というタイトルで話題提供がありました。私の指導する女子バスケットボール部は、約40名の部員がいて、各学年10名程度のチームです。成績はよいのですが、全日本では勝てない状況です。女子は、日本リーグと大学とがあり、良い選手は日本リーグヘ行き、うちへ行って来る選手は、インターハイ2回戦程度の選手が入部します。このような状況を理解していただいた上で、なかなか全日本では勝てない、勝つことの目標と努力はしています。過程は大切だが、目標を持って練習することを主眼にし、過程は後でっいてくると思っています。大学になり、田舎からでてきて、環境が変わり、なかなか伸びない選手がいました。その選手を3年ぐらいでレギュラーにし、決勝まで行きました。その時、接戦で3っ立て続けにミスを連発、それから全くダメなり、1ヵ月練習もできなくなり、精神的にもまいり、体力も付いて来れなくなっていきました。そのために彼女より能力の落ちる選手をっかうはめになり、西日本で決勝で負けました。4年になり、ひとりの子が辞め、レギュラーのポジションがあき、その子しかいないと考え、自信を取り戻して欲しいと考えました。夏の合宿で、自信を取り戻し、レギューラーエ一スとしてリーグ優勝、全日本ベスト4、オールジャパンにも選ぱれました。このように能力を持っているのに、伸びないケースがありました。ダメになる選手やこのようにカムバックする選手もいます。これは、開き直った例だと思います。
話題提供者から、現場のチームを指導するコーチの立場から4つの問題点をあげ、それについて紹介や説明がありました;@環境の問題、Aボーイフレンドの問題、Bクラブ内の人間関係の問題、Cケガの問題でした。
最初に、Aボーイフレンドの問題を取り上げ、これは多くでてくる問題であるとし、特に新入生が入部してくると、男性についての話しをすることにしているとのことでした。たとえば、結婚や婚約のこと、男性問題でクラブにでてこなくなり、チームがガタガタになることもあるなどの話しをして、気をつけるようにと言う、次に、退部・退学した選手の例をを取り上げ、中心選手が4年生になりやけることは困る、やめるならぱ3年生までの辞めてくれと話をすること。ある時、4年の夏に辞める子がいました。6月に家庭の事情でクラブを休んだ(男性問題も関係しいていたらしい)が、その後も活躍し、コーチも気づかなかった。教育実習中にまた何かあり、夏になっても練習にでてこなくなってきました。そこで、クラブを辞めなさい、しかし大学は卒業するように書いましたが、結局、大学を辞めてしまいました。この子は、4年生でレギュラーの責任を放棄してしまいました。(本人は、わかっているとは思うのですが・・)次に、Bクラブ内の人間関係の問題について話題提供がありました。女性には女性特有の「好き嫌い」の感情が問題になるケースが多い。みんなが合うわけがないと話しはするが、ある選手が退学してしまったケースがありました。たとえば、上級生にうそを言ったりして、クラブの練習を禁止したこともあり、同級生とギャップができてしまいました。親とも話しをしましたが、本人も続けたいとのことでしたが、チームメイトとうまくいかなく、結局は退部・退学をしました。
Aトレーナーの立場から:カネヒララグビー部のトレーナー(NATAライセンス)の藤井均氏がトレーナーの立場から話題提供をしました。カネヒララグビー部は、現在Bリーグで、今年は全勝優勝で入れ替え戦へ行きます。NATA公認トレーナーは、アメリカ医学界の認めたライセンスで、選手のケガからのリハビリ等に関わります。コーチの役割が、技術・作戦・戦術面であり、選手起用の選択、切り捨て、がんばれという役割を持っていると考えます。一方、トレーナーは、選手を選ばない、受けとめる役割であり、がんばれないときはがんばらなくて良いという役割を持っています。また心にも関われる必要があります。事例として、25歳のラグビー選手が、内側靱帯損傷から復帰までの関わりをしたときの例です。
まず、選手はケガをすると失礼になります。彼が試合中にケガをしたとき、私はトレーナーの権限で試合でのブレーを強制ストップさせました。選手は、なぜと怒り、興奮しました。私は、選手に対して「君の悔しさはわかる」と言って初めて彼はおとなしくなりました。リハビリをしている選手には、「どう?」と質問します。かならず、「どう?」から入ります。選手は、取り乱したことをわび、自分自身をコントロールできなかった事が恥ずかしかったようでした。ここで明確に言いたいことは、「ケガを治すのは選手であり、トレーナーは見守ること」リハビリとは、自分の更衣で治すことです。機能訓練期に入り、スクワットなど量を増やし、スピードや強度を高めていきます。これはリハビリというより、トレーニングとなります。できなかったことができるようになる喜びもあります。この頃には、リハビリを他の選手に自慢する事もでてきました。次にラグビーへ復帰するリハビリ期では、トレーニングができるようになっても、ブレーができるとはかぎらないし、ブレーができるようにするのがこの過程です。ケガの回復は、直線的に回復するのではなく、山や谷があります。できる事を積み重ねることで、自信を高めていきます。「よくここまできたね!」と声をかけると「ここまでこれました!」、「こんなとこ2度と来ませんよ!」と言いブレーに復帰していきました。選手はケガをすることで、自分が受け入れられなくなります。ここでトレーナーがお手伝いをします。ケガにより、主体性が生まれることができる選手が多いと思います。身体のケアで、心のケアもでき、「リハビリが、心理療法になると感じています」待つという姿勢が大切です。
Bスポーツカウンセラーの立場から:鹿児島大学の山中寛氏がスポーツカウンセラー(全日本野球チーム等)の立場から話題提供をしました。
私は、県の医科学委員ですので、県の医科学委員会からの紹介で選手が来ます。現在、全日本野球ナショナルチームや社会人野球に関わっています。その関わりとして、強化合宿や試合にいきます、グランドにでてコーチや選手と年間で2ヵ月は情報交換などをします。4日一1週間の合宿で私がやるのは、選手への坊ポートとコーチヘのサポートです。たとえば、@不調・不振回復のための、A能力改善の心理的スキル、B試合期間中の心理的コンディショニング、Cコーチやチームドクターとの連係などです。また話しの中でスライドで心理的サポートの分類を紹介し、説明がありました。事例として、150kmのスピードボールを投げるビ’ツチャーが、コントロールがなく、上達しない状態でした。その時、動作法を使い対処しました。それについてはスライドを使い姿勢を修正させたとの説明でした。心理的スキルのついては、目標設定やイメージなどもやります。ロッカールームで着替えるときに選手は緊張します。その時に、自分でできるようにする、また手伝うこともあります。ストレッチの時に、力を抜くお手伝いをします。これは、集中力が高まります。1打席で打てないと、2−3打席でも打てないと不安になり、それを引っ張ってしまいます。私は、「つぼイメージ療法」を使います。何かのつぼをイメージし、つぼの中にいやな感じを置いて、つぼにふたをする事を指導します。またドラフトにかかるには、ここで力を出さないとなど考えれば、緊張が来ます。こんな時の、ちょっとしたきっかけを見っけてやるお手伝いをします。
Cメンタルサポート実践家の立場から:奈良教育大学の岡沢詳副氏がメンタノレトレーニングを選手に指導するメンタルサポート実践家の立場からという話題提供をしました。
私は、心理的適性に関しての研究者ですから、「実践家」と言うことについては疑問ですがと冒頭に言われ、私の場合、経験を積まずにナショナルチームにサポートをしました。その過程でコーチがいろいろと説明をしてくれました。その中でメンタルトレーニングをやってきました。「リラクゼーションしたら何で勝てるのか?」と聞かれ、答えることができませんでした。選手たちは、マイナス思考が多い、これが選手が力を発揮できない事に気がついて欲しいと思います。目標設走で、選手を引っ張っていく感じがしていました。選手に結果がでれば、依存してきますが、出ないと雌れていきます。自分がやろうとしても、やらない選手がいました。A君の事例より、小学生から卓球を始め、小学生から全国大会へ出場しました。家庭環境面で、両親別居(父親と生活)していました。ここぞという時では、勝てる選手だが、変なところで負ける、勝っても負けても表情に出さない。練習や試合を見てみると、自分でゲームを作っていると感じたので、私のところに来たときに、この選手は「なぜやりたいのか?」、「なぜやるのか?」から入りました。この選手は、車酔いをする選手で、いつも試合でこうなるし、遠くの試合では難しい選手でした。ある時、ゲーとしていたので、背中をきすったり、話しかけたら、背中の筋肉がこわばっていました。インターハイでは、準決勝まで行き、団体でも準準決勝までいきました。会場まで車では行かずに、走って行くなどをしていました。メンタルトレーニングを始めてからは、「間の取り方がかわった」、「作戦が役に立った」、「プラス思考」などが役に立ったと答えていました。作戦については、何もやらなかったのですがこう答えていました。「コーチはどう?」と質問すると、メンタルトレーニングを始めて「やさしくなった」と感じていました。コーチからは変わっていないということでしたが…。インターハイに行くには、「このままではいけない」ともったのかラケットのラバーを変えました。それでおかしくなりました。コーチから相談を受けて、コーチはラバーをもどさなければ負けると思っていました。私は、「選手にまかせるようにしましょう」と言い、やはりその選手は負けてしまいました。ラバーを元に戻し、その後は近畿大会でインターハイ優勝校に勝ちました。そのうちに車酔いがなくなっていきました。私は、「本人に決めさせることに注意をしました」この選手は、大学進学後伸びていきました。
会場からの質問:この4名の話題提供者に会場からの質問を受けました。会場からは、山中先生に「実際どのような方法でリラクゼーションをさせるのですか?」など現場的な質問がでたり、女性選手のことなど選手に対する問題が起こる飾の「予防」についての質問もありました。
指定討論者からの話題提供に対するコメント
@山本昌輝氏(大阪体育大学カウンセラー)は、自己決定できないことなど、作戦や戦術などから抜け落ちたことのケアが大切、「援助していく」ことが大切であり、これが臨床スポーツ心理学だと思います。回復を援助すること、リタイアしたときの援助をすることなどです。向上しているときは、楽しいが落ちるときは、ダメになるような感じになるのではないかと思います。私たちは、「対話の中で援助していく立場」だと思います。「動機づけ的なものは、おしえられません」私は、山中先生の動作法によるコミュニケーション(手塩にかける)が意味があるのではないかと感じました。
A中島登代子氏(大阪体育大学カウンセラー)は、「心理療法に対する共通理解があるのか?」という疑問があります。「私は、ないと思います!」臨床の世界でもギャップがあります。「スポーツの世界で、何で話しをする必要があるのか?」などの話しがあり、藤井さん(トレーナー)が、われわれと同じことをしています。「横にいてじっとしている」ということです。他の話題提供者は、「何かを必死でやっている、やることで結果を出そうとしています」などのコメントがあり、心理療法を強調していました。そして臨床心理学は、わかりにくいことが起こった経験からきている、臨床心理学を知らない人は、自分の範囲からしか見ていない、現場の人はわかっているなどのコメントがありました。またこころと身体をつなぐということにっいて、。病気ではないが、ランクが上がるときに気持ちが変わる、身体症状など何かが起こるなどのコメントがありました。最後に、「わかりやすいところで見るのではなく、わかりにくい点も考える場にしたい」とのコメントでした。
最後に話題提供者から他の人や質問、指定討論者などのコメントを即いた上での総括したコメントがありました。
@中大路氏(コーチ)は、予防がうまく行かない、常識的なレベルは押さえておくなど教えることを今考えている。役割分担をしてもらいたい、これらをお願いしたい。
A藤井氏(トレーナー)は、身体とこころの方向性に敏感になりましょう。これが人格向上になると思います。
B山中氏(スポーツカウンセラー)は、フィールドに出ていますので、臨床スポツ心理について深く考えていませんでした。わからないことも必要だが、わかすいことをもっとやりたい、両方をうまく構築されればと思います。
C岡沢氏(メンタルサポート)は、指導論やコート・選手との関わりであり、もっと深いところは違うと思ったし、チームの指導やチームの流れがあると思います。予防は、自分で判断できる選手がいいのではと思いました。
報告者より 以上が公開シンポジュームの内容を簡単にまとめたものです。この内容から、それぞれの立場で、考え、ディスカッションをし、今回の話題である「臨床スポーツ心理学」とわれわれが関わる「教育的スポーツ心理学」の構築に対して、よりよい方向へ進めばと思います。北米で1980年代に討論された話題がやうやく日本でも1990年の終わりになり始まりました。北米や世界の流れに乗っていくのか?日本独自のものになるのか?今後の展開が楽しみです。たぶん、この内容については、一字一旬を正確に表現した報告が大阪体育大学からあると思います。ここで、私が報告したのは、参加者として、ノートにメモした内容をできるだけ明確に表現したっもりですが、どれだけ正確にお伝えできているかということを頭に置いていただけれぱと思います。ただ、今回「メンタルトレーニング・応用スポーツ心理学研究会」の11月研究会にさせていただいたという点で、この公開シンポジュームの報告をさせていただきました。
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