2004年の1月30日に私が「何でも掲示板」に書き込んだ内容を一部加筆して紹介します。大阪府立大塚高等学校 陸上部顧問 N.TAKAEDA
大阪女子マラソンと県立西宮高校

 報告が遅れましたが、日曜日、大阪女子マラソンを見てきました。大塚高校の今年の女子の卒業生が大阪の実業団でお世話になることになったので、その実業団から出場する選手の応援に、生徒を連れて行きました。

 寒さ以上に風がすごかったですね。特に大阪城公園のあたりは、突風が吹いていました。解説者は、気温の低さばかりを強調していましたが、大変な向かい風でした。ビル風なのでしょうが、見ている我々でも吹き飛ばされそうなくらいでした。

 長居競技場でスタートを見て環状線に乗り大阪城公園から玉造に移動して応援していました。県立西宮の生徒達がのぼりを持って移動しているのに会いましたが、もちろん卒業生の坂本直子さんの応援です。

 15k地点では、寒さと風のためスローペースで大集団でした。
30k地点では、坂本さん、千葉さん、渋井さん、大南さんの4名に絞られてレースが動き出していました。家に帰ってビデオで見ましたが、大阪城内での千葉さんの仕掛けに一気に対応した選手は、そのダメージが残って、乳酸がたまったような感じで、その後、離れていった感があります。過去のレースと比較しても大南さんの粘りと坂本さんの冷静さが目を引きました。

 環状線で、本当に偶然に私たちが乗っている車両に、県西の萩原先生が乗って来られました。坂本さんが2位の千葉選手を引き離しだしたときで、優勝が見えだした頃です。先生が沿道から声をかけたら、こちらを見て反応する余裕があったので大丈夫だろうと言われました。
 萩原先生は、ここ数日間、先生自身が全国高校駅伝の前よりも数倍も緊張していたとも話されていました。教え子がオリンピックに行くかもしれないという緊張感・・・高校の指導者冥利に尽きるでしょう。そんな緊張感を味わえる先生に感動をいただきましたし、又うらやましくもありました。


 県西さんとは、私が貝塚南高校に転勤した1年目からのお付き合いです。天理大学でやっていた合同合宿に参加したときから、ご一緒させていただきました。春の天理合宿、冬の大阪貝塚での合宿、など一緒になるたびに刺激をいただきました。

 大震災の年から、県西は一気に強くなりました。地震を乗り越えてきた人間の芯の強さを感じました。あの年の12月に県西に合同練習に行かせていただきましたが、校舎がひび割れ、階段に大きな段差が出来るほど、地層がずれていました。校庭に並んだプレハブ・・・そこで授業をされていたので、グランドでは練習は一切出来ない状況でした。確かあの年から、男子が近畿駅伝で活躍しだしたのではないでしょうか。あのころはまだ女子の駅伝のイメージは全くありませんでした。私も貝塚南にいて自分が将来女子駅伝をやるとは思っていませんでした。

 それから1年1年男女とも着実に兵庫県駅伝での順位を上げて行かれ、近畿駅伝で一緒に走るのですが、どんどんタイムも順位も差を開けられていきました。兵庫の県駅伝で男子が3位、女子が2位まで上り詰めたとき、ここから先、さらに上げていくのは大変・・・と、おっしゃった時のことを思い出します。上は須磨、西脇、報徳ですから・・。しかしここから萩原先生の本当の躍進が始まったのでした。

 私が大塚高校に転勤が決まり、女子の駅伝をやろうと決めました。
4月1日に転勤の辞令を受け、そのまま、4月2日から埼玉栄高校の合宿に見学に行かせていただきました。埼玉栄が全国駅伝で2連覇をして、3連覇を狙う年の春でした。兵庫県の園田学園の藤川先生の紹介でした。埼玉栄に着き、藤川先生に電話すると、うどん屋にいるのでと言われそこに行くと、いきなり萩原先生がおられました。県西が来るとは全く聞いていなかったのでびっくりしました。県西も女子駅伝で勝負していくと萩原先生が決意された年だったと思います。ボーナスをはたいて、飛行機で生徒を連れてきたと仰っていました。5日ほど合宿に入り多くのことを学んで帰りましたが、その時、県西には、新2年生になる直前の坂本直子さんがいました。
私が撮ったビデオの中に動き作りを泣きそうな顔でしている坂本さんの姿があります。その時は今の坂本選手の成長ぶりは想像もつきませんでした。

 萩原先生と県立西宮高校からは、いつも、勇気と感動をいただいてきました。全国IHで入賞されるようになり、チームはどんどん強くなっていきました。

 私は2001年から九州に合同合宿に行くようになりましたが、なぜかそこでも県西さんと一緒になる機会が多くなりました。申し合わせて同じ合宿に行くわけでもなく、行ったら県西さんが来ているというような状態でした。お互い全国区の駅伝で活躍したいという思いで、必死だったと思います。
 私なりに県立西宮高校の15年の成長を、驚きとあこがれと負けたくないという気持ちが入り交じった思いで見続けてきました。公立高校でもやれば出来る、全国IHで入賞できる、全国駅伝で入賞できる、そしてオリンピックに行ける・・・。いただいた感動と勇気は毎年レベルアップしてきたのです。

 何度も繰り返しますが、この1年間(2004年度)は、本当の意味で勇気をいただきました。全国高校駅伝初出場3位!!昨年末の県西の現役選手達の快走が、今日の坂本さんの走りにも勇気を与え、背中を押しているようにも見えました。

 電車を降りて長居陸上競技場に戻りました。スタンドで巨大スクリーンに映る阪本さんの姿を見ながら待ちかまえていると、スクリーンから坂本さんを追うテレビ放映の映像が消え、「マラソンゲートにご注目ください」という表示に変わりました。数秒間の沈黙の後、マラソンゲートをくぐり、坂本直子選手がトラックに帰ってきました。その瞬間、場内の観客から「ウォー!!」という大歓声が湧き起こりました。

 その瞬間、横におられた萩原先生が大声で「ウオー」と叫んでいました。拳を振り上げて・・・

 あんな萩原先生をはじめて見ました。

 横で見ていても本当に先生の思いと感動が伝わってきました。

 高校生を指導する立場で、本当に人間は無限の可能性を持っているということを強く強く教えられた一日でした。近畿大会にも行けないような普通の高校生だった子が、オリンピックに・・・!!

 坂本直子さん、萩原先生、県立西宮高校の選手達、本当におめでとうございました。またオリンピックを目指して走った他の選手達、市民ランナーのみなさん、多くの感動をいただきました。

 私もまだまだ、頑張っていけそうです。
 2004年1月30日





 2004年2月11日(水)宝塚ホテルにおいて、県立西宮高校の全国高校駅伝3位の報告会(祝勝会)がありました。その時に、OBの坂本直子さんも祝福に駆けつけておられました。その時はまだ名古屋女子マラソンも残っていて、アテネオリンピック出場は決まっていませんでしたが、オリンピック出場の可能性は高く、大阪女子マラソンを制した自信とオリンピックに賭ける思いが伝わってくる気がしました。

 無理を言って大塚高校駅伝チームに、メッセージを書いて頂きました。

 「気合い」という、単純な一言に、重みを感じます。

 アテネオリンピック、まだまだ若いのですから、挑戦する気持ちを忘れずに攻めのレースをして欲しいと思います。頑張ってください。